■2011年度講演会
題目:羽田記念館講演会「オスマン朝の法廷記録簿について」
主催:京都大学大学院文学研究科附属 ユーラシア文化研究センター羽田記念館
共催:京都外国語大学国際言語平和研究所・文部科学省委託事業「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」イスラーム地域研究東洋文庫拠点
日時: 2012年2月10日(金)16:00-
場所: 羽田記念館(京都大学大学院文学研究科附属 ユーラシア文化研究センター)
講演者: ビルギン・アイドゥン(イスタンブル・メデニイェト大学文学部歴史学科長)
発表言語:トルコ語 日本語通訳あり

[概要]
2月10日(金曜日)、京都市の上賀茂にある京都大学大学院文学研究科附属ユーラシア文化研究センター (羽田記念館)において、ユーラシア文化研究センターおよび京都外国語大学国際言語平和研究所との 共催のもと、イスラーム地域研究・東洋文庫拠点の文部科学省委託事業公募研究がトルコから招聘した ビルギン・アイドゥン准教授(イスタンブル・メデニイェト大学)による「オスマン朝の法廷記録簿に ついて」と題するトルコ語の講演が行われた。(通訳は公募研究代表者:松洋一)。

 アイドゥン先生は講演の前半では、オスマン朝の法廷記録簿の全体像について、ご専門とされるアーカ イヴズ学の観点からお話しくださった。まず、法廷記録簿が、オスマン朝期を起源とするのかそれ以前から 存在したのかについての議論を紹介され、現時点では史料上不明であることを指摘された。現時点で確認 される15世紀に記された古い記録簿の多くはブルサを出所とするという。イスタンブルの法廷記録簿として、 もっとも古い記録簿は1513年のウスキュダル法廷のものであるという。

 アイドゥン先生によれば、15世紀の段階で法廷記録簿は基本的にはアラビア語で記されていたが、16世紀 にはトルコ語の記録が増加し、17世紀になるとアラビア語の記録がほぼ消えることになった。その原因の 一つとして、トルコ語で記された法廷文書用例集の流通が挙げられるという。また、伝世するイスタンブル の法廷記録簿は10,000冊、その他の都市の法廷記録簿は合計9000冊に及ぶが、オスマン朝の統治時期と裁判 区の数から推定すると、30万冊程度存在したはずであるとの指摘が加えられた。

 アイドゥン先生は、こうした法廷記録簿を利用して、マハッレ(街区)の形成やそこに生きる人々の在り 方、また逃亡奴隷の事例からみる社会と奴隷の関係、また当時イスタンブルで消費されていた生活物資 (小麦、チーズ、はちみつ等)の価格情報、同業者組合やモスク、マドラサの運営と街区との関係など様々な 論点を研究できると述べた。

 続けて、法廷記録簿に標準形はないという点を強調しながら、法廷記録簿のうち内容の特化した(カー ディーがテーマ別に作成した)様々な帳簿類(ワクフ会計帳、孤児記録簿、公定価格記録簿など)をそれぞれ 説明した。加えて法廷記録簿の中には、証書にとどまらず、上奏、遺産目録、ワクフ文書などの文書が記録 されているという。その一つであるイーラーム(通知)が18世紀に作成されるようになった意義を説明し、 シャリーア法廷が中央政府のより厳格な監視下に置かれるようになった歴史的経緯を明らかにした。

 以上のように、アイドゥン先生のご講演は、専門とするアーカイヴズ学の観点からのみならず、歴史研究 において法廷記録簿をどのように利用するかという点まで含んだ、きわめて示唆に富むものであった。

 講演のあと、質疑の機会が設けられ、中央アジアの法廷史料との比較の視点からの見解が提示され、また アナトリアに残されているワクフ文書の碑文と法廷記録簿の関係などが議論された。 

(文責:阿部尚史)

研究会・報告のトップに戻る