■東文研セミナー「オスマン帝国の人口史研究の試み」報告

[日時] 2010年1月28日(木)17:00-19:00
[会場] 東京大学東洋文化研究所3階第二会議室
[講師] オクタイ・オゼル(Oktay Ozel)(トルコ共和国、ビルケント大学))
[題目] 東文研セミナー「オスマン帝国の人口史研究の試み」
(東京大学東洋文化研究所・東洋文庫研究部イスラーム地域研究資料室共催)
[言語] トルコ語(通訳なし)

[概要]
 オクタイ・オゼル氏は、今回のセミナーにおいて、オスマン帝国人口史研究とその課題について、16世紀まで、17-18世紀まで、 19世紀から今日にいたるまでの3つの時代に大きくわけて、以下のような報告をなされた。

 オスマン帝国の最初の数世紀は、積極的な征服活動とスルギュン(強制移住)にともなう人口移動、イスラーム化の動きがみら れた時代であった。そして16世紀になると、「パックス=オトマニカ」のもと、帝国各地では人口が増加した。このことは納税者、 免税者を記録したタフリール(課税調査)台帳の分析から裏付けることができる。

 17世紀には、天災、疫病、戦争、治安の悪化、そしてアナトリアとシリアにおけるジェラーリーの諸反乱の影響を受けて、人口の 急激な減少が発生したと考えられている。17世紀以降になるとタフリール台帳はほとんど作成されなくなり、また17-18世紀に作成 されたジズヤ(人頭税)台帳、アヴァールズ(臨時税)台帳は当初、研究者の注目するところとならなかったため、従来のオスマン 帝国人口史研究においては、17-18世紀は人口史に関わる史料の欠落した空白期とみなされていたのである。しかしながら近年、ジズヤ 台帳とアヴァールズ台帳の分析から17-18世紀の人口史を解明しようという動きがみられるようになってきた。

 19世紀になると、オスマン帝国は民族主義の時代をむかえ、諸民族の独立と領土の縮小に伴い、ムスリム=トルコ系住民のアナト リアへの大規模な人口移動が発生し、この動きはトルコ共和国成立直後まで続いた。この時期のアナトリアの人口については、近代化 を目指すオスマン帝国そしてトルコ共和国が、中央集権化を押し進め、臣民の把握、統制に専念する過程で作成された、テメットアート (資産調査)台帳、サルナーメ(年報)といった史料に基づき分析することができる。その一方で、国家による統制は自治や独立を求め る民族集団と国家の間に深刻な摩擦を生み、その影響は19-20世紀におけるアナトリアの人口研究の分野にまで及んでいる。例えば、民族 集団毎にこの時期の人口が算出、提示されているが、研究者の立場によってその数字は大きく異なり、様々な論争が続いているのである。

 今回のセミナーは、これまでのオゼル氏の研究成果をわかりやすく簡潔にまとめたものであり、特にこれまで空白とされてきた17-18世 紀の人口史研究が、ジズヤ台帳とアヴァールズ台帳によって解明される可能性が強調されており、大変興味深いものであった。しかし ながらジズヤ台帳とアヴァールズ台帳に基づく先行研究をみると、これらの史料の利用と分析にあたって、様々な課題を指摘することが できる。例えば、これまでの研究に利用されてきたジズヤ台帳とアヴァールズ台帳は、納税者の詳細を記録した明細(ムファサル)様式 のものに集中しているが、この様式の台帳の多くは、17-18世紀を通じて各地域で2回しか作成されていないのである。さらにこれら明細 様式の台帳が作成される前後の長い空白期間を記録した、様々な種類のジズヤとアヴァールズに関わる文書群が大量に現存しているのである が、これらについては、利用はおろか、分類、整理さえほとんどおこなわれていないのが現状である。そしてそもそも、ジズヤ台帳とアヴ ァールズ台帳における納税者の記録から正確な人口を算出することが本当に可能であるのか、疑問視する研究者も存在する。

 今回のセミナーにおいて、ジズヤ台帳とアヴァールズ台帳のさらなる利用、分析と、これらの史料が17-18世紀人口史の解明に有効がある ことを証明していくことの必要性を痛感させられた。オゼル氏とのさらなる研究交流を切に願うとともに、セミナーが常に有意義なものと なるように尽力されている方々に感謝するものである。

文責 今野 毅(北海学園大学・札幌学院大学非常勤講師)

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