■イラン・イスラーム共和国における資料調査

[期間] 2012年2月13日から3月1日
[国名] イラン・イスラーム共和国
[出張者] 渡部 良子(東京大学文学部・非常勤講師)

[概要]  報告者は、2009年度の調査(2010年2月)に続き、再度イランの首都テヘランでペルシア語財務術・簿記術関連史料を 調査する機会を与えられた。

 本調査での報告者の目的は、2009年度調査の継続・発展であった。2009年度の初回の調査の主眼は、ペルシア語財務 術・簿記術の発展の歴史を示す前近代の財務術・簿記術指南書が、どれほど、どのような形で現存しているのか、明らか にすることにあった。本調査では、前回調査した前近代財務術指南書作品について、異写本を調査・複写し、研究の環 境を整えること、また、前近代の作品は数が限られるため、近代の作品に対象を広げ、ガージャール朝時代に流布した 簿記術指南書を可能な限り調査することを目指した。2010年度の阿部氏の調査では、出版技術の近代化の影響を示す石版 本の指南書・教科書の調査が重点的に行われていたので、写本で残る作品を調査した。

 日本に複写を持ち帰ることができたのは、テヘラン大学中央図書館Kitabkhana-yi Markazi-yi Danishgah-i Tihran 所蔵写本3点、議会図書館Kitabkhana-yi Majlis-i Shura-yi Islami所蔵写本6点である。このうち、主な調査対象と した作品・作品群の具体例を以下に2例挙げる。

・Ghiyath al-Din Abu Ishaq 'Ashiqi Kirmani: Risala dar ‘Ilm-i Siyaq
 サファヴィー朝Tahmaspとキルマーンのワズィール(wazir-i Kirmani)'Abd al-Rashidおよびその息子に献呈された財 務術指南書である。2009年度にすでに調査を行っていたが、今回複写したMajlis 6544/1によって、前回複写したMajlis 3117の題字欠落部分や第4部の欠落などを補うことができ、より詳細な研究が可能になった。かなり長い美文調の序文、 序章(muqaddima)、4部(財務帳簿の項目を指すdaf'aという語が用いられている)構成の本題部分、終章(khatima)という 構成であり、序章は財務術論、財務官職論、度量衡、簿記術記号、暦法など15章(fasl)からなる財務・簿記術基礎、第 1部〜第3部は3種の財務帳簿=ruznamacha(日誌)、tawjihat(支出簿)、awarija(収支記録簿)の技術的解説、第4部は算術 である。序文に複数の財務・簿記術指南書(現存せず)の名が列挙されていることからも、著者が簿記術に造詣が深い人物 であったことが窺われるが、財務および帳簿作成術に関する豊富な記述は、ペルシア語による財務・簿記術がどのように 伝承されてきたかを伝える格好の事例となっている。第2部に含まれる財務関連文書(parwanacha、barat、ta'liqa)の書式 用例は、文書様式の点からも興味深い。イラン式簿記術の発展史という観点からも、サファヴィー朝期の財務システムに 関する一史料としても、詳細な研究が望まれる重要な史料なのではないかと思われる。

・ガージャール朝期簿記術指南書群
 ガージャール朝期に作成された集成写本(majmu'a)には、著者・題名が曖昧な様々な財務・簿記術指南書作品が収録され ている。今回、議会図書館では、Munzawi写本目録(vol. 1, p. 173.)でDhakhiraの名で紹介されている作品(著者不明)、 Muhammad Mahdi b. Muhammad RidaによるRisala、著者不明のSiyaqまたはIstilahat-i Ahl-i Tahrirを含む4つの集成写本 (Majlis 5379、6539、6543、6544)を調査した。

 Dhakhiraは、awarija、tawjih帳簿を中心に帳簿書面の作成術を詳説した小論であり、比較的多数の写本が現存すること から、よく読まれていた作品ではないかと考えられる。Muhammad MahdiのRisalaは、地域ごとの度量衡単位の相違、財務 術語、ruznamacha、awarija帳簿を解説している。著者不明Siyaqは4部(fa'ida)構成で、財務術語、帳簿(ruznamacha、 awarija)、財務における種々の手続きの実践的指南、様々な種類の物の数え方を解説するが、財務術語や帳簿の解説は Muhammad MahdiのRisalaと共通点が窺われ、影響関係も推測される。

 これら比較的小品の作品は、Furughistanのような大部かつ網羅的な作品に較べ情報は少ないが、どのような問題が財務 ・簿記術指南書のエッセンス的な要素と見なされていたのかを考える、良い材料となると思われる。また、これらの作品を 含む集成写本は、財務・簿記術指南書がどのような分野の作品とともに書写されていたのかという事例ともなっており、 財務・簿記術の学としての位置づけを考える上で興味深いであろう。

 ペルシア語財務・簿記術指南書作品群から明らかになる知識・技術伝承のありかたという問題に関して、今回、今後研究 すべき課題であると思われた点を、2点述べておく。

 1つは、学としての財務・簿記術に関する思想・言説のありかたである。第4代カリフ・アリーが財務術の開祖であると いう説は、Nafa'is al-Fununなど14世紀モンゴル時代の文献にも登場し、官僚技術を賞揚し、またアリーを神話化する一つ の伝説として流布していたことが確認できるが、サファヴィー朝以後のGhiyath al-Din KirmaniやMuhammad Mahdiの指南書 では、更に発展した語りを見ることができる。このような財務術をめぐる言説も、実務的技術とともにイラン式簿記術の中 に継承されていったものであり、オスマン朝、インドなどにおける比較が期待される。

 もう1点は、伝統的な帳簿管理技術の継承に関してである。今回調査した財務・簿記術関連文献で特徴的だったのが、帳簿 作成・管理術の伝授にあたり、ruznamacha、awarija、tawjih帳簿の3つが特に重視されていることであった。財務庁での 日常業務を毎日記録してゆくruznamachaは、指南書作者により「諸帳簿の母」と呼ばれることもある基本帳簿だが、あらゆる 業務が記録されたruznamachaから支出・収支に関する情報を抽出してまとめ直したawarija、tawjihは、最も重要な財務帳簿 と見なされていたのであろう。報告者が専門とする13-14世紀の財務術指南書においても、これらの帳簿は詳細に解説されて いる。時代を通して継承されたawarija、tawjih帳簿の原理、時代毎の財政システムを反映した特徴・変化、また伝承の方法 などを比較してゆくことは、イラン式簿記術の継承・変遷を具体的に明らかにする、一つの切り口になるかもしれない。

 以上のように、2009年度、2010年度と続いてきたテヘランでのペルシア語財務・簿記術関連文献の調査・収集をさらに進展 させることができたと思われるが、反省点もある。2009年に調査したMir'at-i Sulaymaniの異写本や、Ghiyath al-Din Kirmani の指南書の別の写本など、調査・複写できなかった写本もあり、幾つかの課題を残してしまった。2009年度と同様、今回の 調査においてもM. T. DanishpazhuhとI. Afsharによるペルシア語財務・簿記術関連文献リスト、A. Munzawiのペルシア語 写本目録、および各図書館の写本目録を利用したが、財務・簿記術関連文献は題名や著者がはっきりしない写本が少なくなく、 目録にも情報の曖昧さや混乱、作者の同定間違いなどがしばしば見られ、調査のやりにくさにつながった。財務・簿記術関連 文献の調査・研究にあたっては、これら目録の情報の整理や更新も課題となると思われた。

 また、今回は、イラン国立図書館イラン学・イスラーム学研究部研究員のM. Ja'fari-Mazhab氏の好意で、『スィヤーク書体 教育の努力Kushishi dar Amuzish-i Khatt-i Siyaq』(2009年)の著者J. Safinizhad氏に会うことができた。テヘラン大学で スィヤーク書体を教授しておられたスィヤーク研究の第一人者であるが、近現代イランでスィヤーク書体がいかに広く普及して いたかを語って下さった。氏によると、イランではレザー・シャーにより廃止されるまで学校でスィヤーク書体が教えられて おり、学校教育における廃止後も、バーザールでは革命前のある時期までスィヤークが使用され続けていた(氏が最初にスィ ヤークを習ったのは、商人として実際にスィヤークを使っておられたご実兄からであったという)。

 報告者はこれまで、イランでは、文書や経済関連史料解読の必要からスィヤーク書体の習得には技術的な関心が持たれている が、伝統的な財務・簿記術の発展・変容の歴史の研究という観点から財務・簿記術関連史料を発掘・研究することにはほとんど 関心が払われていないように見えることに、漠然と疑問を感じていた。しかしそれは、スィヤーク書体がそれだけ社会に広く 浸透した日常的な技術であったためでもあり、まずスィヤーク書体で残された史料を正確に読みこなすことが歴史研究の重要な 課題であるのだということを、今更ながら思い知らされた。社会に広汎に浸透していた実務的技術としてのスィヤーク書体の 技術伝承と、高踏的な論考から児童向け教科書まで多岐のレベルに亘るペルシア語財務・簿記術指南書編纂の伝統、そして、 イスラーム世界に広がった「イラン式簿記術」の歴史を有機的に結びつけるアプローチとは何か、就中、「机上の空論」的な 要素も少なくない個々の指南書文献の研究は、どのような役割を担い得るのか、改めて課題を突きつけられた気がした。

 しかし一方、氏が見せて下さったガージャール朝期の遊牧民の人口調査簿と、報告者が研究している13世紀モンゴル支配期の 財務術指南書の人口調査簿用例の形式や用語には一部共通点も見いだされるという小さな発見もあり(遊牧民社会研究で数多の 業績を持つ氏は、イランの遊牧諸部族の統制・家畜税徴税においては人口調査が重要な役割を担っていたと指摘されたが、それ はモンゴル帝国期の人口調査の導入を考える上でも示唆的に思われた)、時代による財務・簿記術史料の比較研究は、やはり 様々な可能性を持ち得るのではないかという感触も得た。そのためには、まずは一点一点の史料を丁寧に解読し、様々な時代・ 地域・分野からの議論を可能にする事例を積み重ねてゆく努力が必要だという考えを新たにした。

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