■イラン・イスラーム共和国における資料調査

[期間] 2010年2月4日(木)〜2月19日(金)
[国名] イラン・イスラーム共和国
[出張者] 渡部 良子 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニアフェロー、東京大学他非常勤講師))

[概要]
 この調査は、文部科学省「人文学及び社会科学における共同研究拠点の整備の推進事業」による「イスラーム地域研究」共同 研究課題公募事業「イスラーム圏におけるイラン式簿記術の展開:オスマン朝治下において作成された帳簿群を中心として」 (研究代表者:松洋一)の共同研究の一部である。

 調査の目的は、イランに現存するペルシア語財務術・簿記術マニュアルの写本を、可能な限り網羅的に調査・複写することである。 2009年度の高松氏の調査は、おもに近代に刊行された石版本を対象としたものであったが、ペルシア語で財務術・簿記術を伝授する マニュアルを著す伝統はイラン高原で早くから確立されており、少なくとも13-14世紀モンゴル支配期以降、多くの作品が写本の形 で残されている。これらのマニュアルは、オスマン朝、インド、中央アジアなどの財務術にも影響を与えたイラン式簿記術の発展と 技術伝承のありようを明らかにする重要な史料であり、 M.T. Daneshpazhuh、I. Afshar らイランの碩学により目録化が行われているが、 一部作品が社会経済史的関心から校訂・研究されているのみで、財務・簿記術史という観点から作品群の全貌を明らかにしようとする 試みはかつてなく、未調査の作品が少なくない。この公募事業では、これまでにもトルコ共和国でこれらの作品の写本調査を行ってきて いるが、今回の調査は、膨大なペルシア語写本・マイクロフィルムのコレクションを持つイラン・イスラーム共和国首都テヘラン市の 写本所蔵諸機関でこれらの作品を可能な限り調査・蒐集し、イラン式財務術・簿記術の発展・伝承を研究する土台を整えることを目標 とした。

 Daneshpazhuh による官僚技術文献目録 "Dabiri wa Nieisandigi"(論文集 Hadith-i 'Ishq, vol.1, Tihran, 2002 収録)、Afshar 校訂 Furughistan : Danishnama'-i Fann-i Istifa' wa Siyaq (Tihran, 1378kh) の補遺による簿記術文献目録に基づく予備調査をもとに、 テヘランの主要な写本所蔵機関であるテヘラン大学中央図書館、メッリー・マレク図書館、議会図書館の3館で、以下の調査を行った。

 上記の目録や、写本カタログの情報を用いる上での問題は、官僚の実務を想定して書かれた財務術・簿記術マニュアルと、数学文献の 区別が曖昧だということである。これは目録の問題というより、財務・簿記術に関する叙述が数学・算術と明確に切り離せないというこの 文献ジャンルの性質によるものであって、官僚の実技である財務術・簿記術が、伝統的なイスラーム諸学体系に位置づけられる数学との 関わりの中で「学」として発展していったことを示唆している。このため、調査は目録に収録された作品1点 1点を閲覧し、純粋な数学に 近いもの、財務台帳・文書の書き方など財務術・簿記実務に近いものと、作品を分類してゆく作業を通して行われた。

■テヘラン大学中央図書館
 海外の写本所蔵機関や個人蔵写本の膨大なマイクロフィルム・コレクションを持つテヘラン大学中央図書館では、財務術に関わる現存 最古のペルシア語作品の1つと考えられる Ali b.Yusuf b. Ali Mustawfi のLubb al-Hisab (no. 5231)、サファヴィー朝期 Shah Tahmasp に献呈された Ghiyath al-Din Abu Ishaq Muhammad Kirmani のRisala dar 'Ilm-i Siyaq (microfilm no. 4967)、Shah Sulayman に献呈 されたMuhammad Ali b. Muhammad Qasim のMir'at-i Sulaymani (no.3609)、カージャール朝期の Sulayman Farahani, Mukhtasar dar Qawa'id-i Siyaq wa Dafatir wa Hisab (microfilm no. 2838)を調査・複写した。

■メッリー・マレク図書館
 メッリー・マレク図書館には、現存するペルシア語財務術・簿記術マニュアルでは最も古い作品群に属するモンゴル支配期の作品の1つ、 Risala'-i Sahibiyya 写本 (no.3697/6)が所蔵されている。この他、同館では、カージャール朝期の Haji Muhammad Karim Khan Kirmani の al-Istifa' を調査・複写した。

■議会図書館
 議会図書館所蔵写本で特に注目に値するのは、 Hasan b. 'Ali のal-Murshid である。ペルシア語財務術・簿記術マニュアルはモンゴル 支配期から現存しており、すでにその時代、マニュアルの叙述に一定の形式が存在していたことが確認できるが、イル・ハーン朝前半期の 高名な財務長官 Sadr al-Din Khalidi に献呈された al-Murshid は、同時期の他の財務・簿記術マニュアルより多くの情報を含み、マニュアル の形式や技術伝承のスタイルの後代への継承や変化を研究する上で貴重な史料となるだろう。
 この他、同館では、同じくモンゴル支配期の財務術マニュアルとして有名な Falak 'Ali' Tabrizi のSa'adat Nama (no.2464/2)、 ガージャール朝期の Muhammad Mahdi b. Haji Muhammad Rida のRisala' dar 'Ilm-i Siyaq (no.5093)、著者不明 Dhakhira dar 'Ilm-i Siyaq (no.5378/1) 、著者不明 Hisab-i Ahl-i Siyaq(no.48/1) を調査・複写した。

 この他、テヘラン大学中央図書館所蔵では、多数残されているカージャール朝期の財務術マニュアルから時間が許す限り多くの作品を閲覧し、 その形式を調査した。限られた日数の中で、イラン式簿記術マニュアルの蒐集という目標に関しては数多くの成果があったが、テヘランの Da'ir al-Ma'arif-i Buzurg-i Islami に所蔵される写本を調査できなかったことや、複数写本のある作品の写本を対照し、写本同士の関連や内容の差異 を調べる時間がなかったことなど、様々な課題も残している。今回の調査結果を踏み台として、さらに広い調査が必要であろう。

海外調査・報告のトップに戻る